前回は旧約聖書より、イエス様の十字架の背景を学びました。昔の人々は、牛や羊に、自らの手を置くことによって(また年に一度は大祭司が代表して手を置くことによって)罪を動物に負わせ、いけにえとしてほふり、それによって罪の赦しを得ていました。しかしイエス様は、ご自分のからだをもって、ただ一度、完全な、いけにえ(傷のない小羊)となってくださり、私たちの罪を赦して下さったのです(ルカ23:34)。私たちはただ信仰によって、2000年の時を超えて、十字架のイエス様と霊的に一つされ、罪(古い自分)に死に、新しいいのちをいただいて、主とともに新しい人生を始めるのです。今日はその理解を、新約聖書を通して、深めたいと思います。
そもそもなぜイエス様は十字架に架かられた(つけられた)のでしょうか?直接的な原因は、パリサイ人や律法学者などの「激しいねたみ」でした(18)。イエス様は、形式(律法)だけの宗教の虚しさを厳しく指摘され、神様と隣人に対する愛を説かれました。それが形だけの宗教で利益を得、自分の立場を守ろうとする、宗教的指導者層の逆鱗に触れたのです。イエス様には何の罪もなかったことは、取り調べたピラトも、彼の妻も告白しています。ピラトは言いました「あの人がどんな悪いことをしたというのか(23)」、また彼の妻も「あの正しい人にはかかわり合わないでください(19)」と言っています。群衆も、数日前までは熱狂的に「ホサナ!」とイエス様を迎え入れていたのに(21:9)、祭司長たちに説きつけられ(20)、まるで何かに取りつかれたかのように激しく「十字架につけろ(22)」と叫びます。これはもちろん彼ら自身の言葉なのですが、彼らの中にある罪がそう叫ばせているとも言えるでしょう。イエス様は、すべての人の罪を赦し、神の子どもとし、神様との交わり(平和:シャローム)を回復するために、十字架にかからなければならなかったのです。これこそ、イエス様が十字架にかかられた、真の目的なのです(ロマ3:23)。
イエス様は十字架の上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と大声で叫ばれました。ある人は「イエスが神なら、なぜ『わが神わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか(46)』と叫ぶんだ」と言います。しかし思い違いをしてはいけません。三位一体の神であり、完全な一致を保っておられる父と子が、罪によって分断され、引きはがされたからこそ、十字架には肉体的な苦しみ以上の苦悩があったのです。第9回でこう学びました。「人間が神のようになり、自分勝手に生き始めた結果、『神のかたち(平和)』は大きく歪められ、苦しみと悲しみが全人類に広がりました。そして人間は本当に死んでしまいました。聖書で言うところの死とは、肉体の死という意味だけではなく『神様との断絶』を意味します」。本来ならば、私たちが、あの十字架の上で『神との断絶』という、肉体的かつ霊的な苦しみを味わわなければならなかったのです。しかし、一方的な恵みによって、神のひとり子であるイエス様が、すべての罪と咎とを負い、十字架にかかってくださったことにより、私たちは、価なしに義と認めら、神との平和を回復したのです(ロマ3:24)。
キリストの死の瞬間、神殿の幕が真っ二つに裂けました。文字通り、新しい時代の「幕開け」です。前回もお話ししましたが、旧約時代には年に一度、大祭司が神殿の幕の内側にある「至聖所」に入り、民全体の罪のために祈りました。でもイエス様は、ご自分が「神の大祭司」として、またご自身が「完全ないけにえ」となることによって、平和(神との和解)を成しとげて下さったのです。これが新約時代の幕開けです。この時代に生きる私たちは、大祭司によらず、いけにえによらず、「ただ信仰によって」、大胆に神に近づき、罪の赦しと、永遠のいのちをいただくことができるのです。もはや神様との間に、隔ての壁も、敵意も、仕切りの幕もありません。目の前には十字架という道が敷かれており、その先には、主とともに歩む、新しい人生が待っているのです。ヘブル人への手紙にはこうあります。「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を設けてくださったのです(10:19-20)」。
躊躇していることはありませんか?イエス様がいのちを投げ出して、隔ての壁を、神殿の幕を取り除いてくださったのです。目の前には、天の父なる神が、両手を広げ、待っていてくだいます。そのお方は誰よりも私たちのことを知っていて、愛にあふれ、ともに人生を歩みたいと願っておられます。何も心配することはない。目の前の十字架の道を、大胆に踏み出してみませんか?
こういうわけですから、兄弟たち。
私たちは、イエスの血によって、
大胆にまことの聖所に入ることができるのです。
(ヘブル10章19節)