2012年2月23日木曜日

第16回 「イエスの生涯―十字架①」 レビ4章、出エジプト12章

前回はイエス様の「たとえ話」について学びました。その内の一つは「放蕩息子(失われた二人の息子と、父の愛の物語)」でした。家を飛び出し、放蕩し、故郷に帰ってきた弟息子を、父は自ら走り寄り、抱きしめ、最高のもてなしをしたのです。実に感動的なシーンでした。しかし、決して罪がチャラ(ご破算)になったわけではありません。物語には登場していませんが、その背後には「良い兄」の存在があったことを話しました。その良い兄は、遠い国の弟を探しに行き、一緒に住み、罪と負債をすべて肩代わりし、弟をまっさら(一点の汚れもない)な存在にして父のみもとに返して下さったのです。たとえ自分は父から見捨てられた者となっても…。その良い兄こそ、イエス様でした。今回からは、このイエス様の贖罪(しょくざい)について学びます。

イエス様が私たちの罪を贖(あがな)ってくださった、とはどういう意味なのでしょうか?直接の意味は、イエス様が身代わりとなってくださったことによって、私たちの罪は赦された、という意味です。聖書にはこうあります。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです(Ⅰペテロ 2:24)」。また「聖書の中の聖書」と呼ばれるヨハネ3章16節にはこうあります。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。しかし、この話しをしましたら、ある方(求道者)からこんな質問を受けました。「どうして罪の赦しのためには、身代りとか、いのちの犠牲が必要なのですか」。確かにそう思うのは当然です。そのことを理解するためには、少しばかり旧約聖書の知識がいるのではないでしょうか。

「旧約」の「約」は「契約」の「約」です。神様が人間と結ばれた、もともとの契約を「旧約」といい、イエス様の十字架以降、更新された契約を「新約」というのです。古い契約においては、十戒をはじめとする律法を守ることによって祝福されるという約束でした。その律法を破ることを「罪」というのですが、その罪は「いけにえを捧げることによって赦される」(ただし故意の殺人などの場合には自分の命をもって償わなくてはならない)と教えられています(出29-30章、レビ記1-7章、民28-29章)。そのため旧約時代には、毎日、安息日ごと、年に一度など、事あるごとにおびただしい数のいけにえが捧げられていました。それによって人々は、罪の赦しが決して軽々しいものではなく、犠牲の伴うものなのだということと、神の基準の高さを学んでいったのです。またその際、興味深いことが行われました。罪の赦しを求める人がいけにえを捧げる際、また祭司が民を代表して罪の赦しを祈る際、そのいけにえの頭の上に手を置き、自分たちの罪を負わせました。それによって、本来、自分たちが受けるべき裁きの、身代わりとするためでした。

でもイエス様は、私たちの罪のために、自ら進んで、いけにえの小羊となってくださいました。イザヤ書にはこうあります。「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた(53:6)」。興味深いことに、イエス様が十字架にかかられたのは、過越の祭りの前日でした(ヨハネ19:14)。この日は特別な日で、イスラエルがエジプトを脱出する際の出来事に関連しています。パロは心をかたくなにし、なかなかイスラエルを去らせませんでした。そこで神様は、そんなパロの心を変えるため、エジプトに十の災いを下されたのです(7-12章)。そして最後の災いは、エジプト中の初子を家畜に至るまで打つというものでした。しかし神様の約束を信じ、門柱とかもいに小羊の血を塗った家は助かったのです。イエス様が十字架にかかられたのも「この日」でした!これは神様のご計画によります。このことが分かった時、鳥肌が立つくらいに感動しました。今日も、信仰によって、心にイエス様の十字架の血を塗られた者は、罪に定められることは決してないのです(ロマ8:1)。

このイエス様の十字架から、全く新しい時代が始まりました。イエス様ご自身が、ただ一度、完全な、いけにえとなってくださり、私たちの罪を赦して下さったのです。昔の人は、手を置くことによって罪を動物に負わせましたが、私たちは信仰によって、時代を超えて、この十字架のイエス様と一つされるのです。そして古い自分に死に、新しいいのちをいただいて、主とともに新しい人生を始めるのです。ここに本当の希望があります。十字架については、来週も学びます。

その翌日、(バプテスマの)ヨハネは
自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」
ヨハネ1章29節