2011年11月25日金曜日

第8回 「神のかたちに創造された人間」 創世記1章24-28節、2章24-25節

私達は、何のために生きているのでしょう?その問いに答えるためには、まず「私達は何のために創造されたのか」また「本来どのような存在として、創造されているのか」という問いに取り組まなければいけません。第6回の 「創造主」の学びでは、こう説明しました。「身の回りの全ての作品には、作った人と、作った人の意図(目的)が存在します。私たちは神様の作品です。ならば、私たちにも創った方がいて、創られた目的があると考えるのは、当然のことではありませんか」。また前回は、このように学びました。「この三位一体の神様は、愛によって一つです。この神様は、あなたとも人格的な交わりを築き、共に人生を歩みたいと願っておられます。実はそれこそ、私たちが創造された目的でもあるのです」。今回はこのテーマを更に深めていきたいと思います。

私達は本来「神のかたち」に創造されました。創世記1章27節にはこう記されています。「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」。ひと口に「神のかたち」と言っても、そこには色々な意味があります。まず「○○でない」という言い方をすると、これは文字通りの「姿かたち(外見)」のことではありません。すでに第4回でも学んだように「神様は霊であり、形がない」からです。では一体「神のかたち」とは、どういう意味なのでしょうか?そこには「創造性」「管理能力」「霊的(人格的)存在」など、色々な意味が含まれています。「あなた(神様)は人を神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました(詩8:5)」。しかし今回はある事に焦点を絞ってお話しいたします。

あらためて「神のかたち」とは、一体どういう意味なのでしょうか?実は、日本語でも同じような表現をします。例えば「新しい夫婦のかたち」とあれば、その「かたち」はどういう意味でしょう?少なくとも「姿かたち」という意味ではありません。その場合の「かたち」は「関係」を意味しています。つまり人が神のかたちに創造されているとは、「人が三位一体の神のかたちに似せて、関係の中で生きる存在として創られている」という意味なのです。「神は人をご自身のかたちとして…男と女とに彼らを創造された」とありますが、三位一体の神様は愛によって一つです。そして、人間も本来、愛によって一つとなる存在として創られているのです。その典型的な例が夫婦です。「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである(2:24)」とあります。罪が入る前の人間には、こういった混じりけのない関係の中で生きる存在でした。

その「関係」は、夫婦だけに限定されません。人間は大きく分けて4つの関係に生かされています。①神様との関係。②自分自身(良心)との関係。③隣人との関係。④被造物との関係。人間は本来、この4つの関係に生きる「神のかたち」であり、この関係が健全に保たれている時、私たちは「幸せ」を感じます。ちなみに聖書で言われている「平和(シャローム)」とは、単に「世界人類が平和でありますように」というレベルの話ではなく、この4つの関係が全領域にわたって健全に保たれている状態のことをいいます。そういう視点をもって創世記2章を読むと、エデンの園は「まことにシャローム」であったことが分かります。また聖書には「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです(マタイ5:9)」ともあります。



もう一度、自分自身の状態を振り返ってみましょう。あなたの「神のかたち」は健康に保たれていますか?神様を愛していますか?自分自身を愛していますか?隣人を愛していますか?被造物を愛していますか?あなたは幸せですか?もし幸せでないなら、どの関係に亀裂が入っていますか?あなたはシャローム(平和)に生きるために創られたのです。その平和に生きましょう!

平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです(マタイ5:9)