2012年2月9日木曜日

第14回 「イエスの生涯―奇跡」 マタイ14章13-33節

前回からイエス・キリストの生涯について学んでいます。人としてお生まれになったイエス様が、地上で何をされたのか、その軌跡をたどっているのです。前回は神の国について学びました。イエス様は、多くのことを教えられましたが、そのメインテーマは「神の国」でした。神の国とは、人間の罪ゆえに壊れてしまった神の平和(シャローム)」のこと。具体的には、①神様との平和、②自分の良心との平和、③隣人との平和、④被造物との平和、こうした四つの関係が調和の内に保たれていること、それこそエデンの園に象徴される神の国です。しかしその平和は、人間の罪(自己中心)のゆえに壊されてしまいました。イエス様はその壊れた世界を、回復し、再創造するために来て下さったのです。そして神様は、その回復の御業を、十字架によって罪赦された人を通して行われます。人の罪によって失われた神の国は、罪の赦しによって再び始まるのです。

イエス様は、この地上でたくさんの奇跡を行われました。病人がいやされたり、水がぶどう酒になったり、悪霊が追い出されたり。現代人にとって、このような奇跡は非科学的に思えて、つまずきの原因になってしまうのかもしれません。現代人は、科学信仰(科学こそ万能で、科学で証明できないことは全て迷信だと思う傾向)に陥っているか、その正反対で非常にオカルト的な世界観(スピリチュアル、ニューエイジ、占いなど)にはまっているかです。しかしクリスチャンはそのどちらでもありません。天と地を創造された神様は(創世記1:1)、自然の法則を超えることも出来ると信じています。しかしオカルトは拒否します。それは聖書に禁じられていることです(レビ19:31)。イエス様の行われた奇跡には、呪文や怪しい儀式など、魔術的な要素はいっさいありませんでした。ただ、みことばの権威に基づいて単純に行われ、天の父に栄光が帰されました。

イエス様の代表的な奇跡は「五千人の給食」です。聖書には色々な奇跡がありますが、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネすべての福音書に共通して記されているのは、実はこの「五千人の給食」だけです。それだけ重要な奇跡だとも言えます。何が重要なのか?それは奇跡に込められているメッセージです。具体的にあげてみましょう。①「あなた方で、あの人たちに(16)」と言われていますが、これはイエス様の御業に積極的に参与することの大切さを教える言葉です。②「五つのパンと二匹の魚(17)」のようなどんな小さな賜物でも、イエス様のところに持っていく時、大きく用いられます。③余ったものを数えたら12のかごいっぱいになった(20)。12は弟子たちの数。つまり与えることは失うことではなく、自分自身も豊かに祝福されることを教えている、などなど。数年後に弟子たちは、イエス様を天に送り、自分たちが神の国の福音を述べ伝える存在になっていきます(マタイ28:18-20)。だからこそ、この奇跡からしっかり学ぶ必要があったのです。

続いて記されているのは「水上歩行」の奇跡です。ある人々は「浅瀬(あさせ)だったのだ」とか「弟子たちが幽霊だと言った通り、幻覚だったのだ」とか色々なことを言います。でもこの奇跡でも大切なのは、そこに含まれているメッセージです。①風や波は(24)、人生の試練(嵐)のことを意味しています。②しかしイエス様は、水の上を歩いて来られたように、そういった問題に支配されることのないお方です(25)。③私たちがすべきことは、このお方を信頼し、問題を見て心配するのではなく、しっかりイエス様だけを見つめて着いて行くことです。目をそらしてしまう時、ペテロのように問題に飲み込まれそうになってしまうのです(30)。④何よりも、この奇跡は、イエス様が神の子であることを現しています。この出来事の直後、弟子たちは言いました。「確かに、あなたは神の子です(33)」。このように奇跡には、私たちへの信仰の教訓が含まれています。

聖書には読み方があります。それを無視して「本当か嘘か」と批判的に読んでも、まったく恵まれません。かといって、すべてを字義どおりにとらえ実行することも、本当の熱心とは違います。大切なのは、そこに書かれている意味をしっかり読み取り、神様のみこころに従うことです。◆その意味が分かるとき、神様の臨在が私たちの心に迫ってきます。その時、聖書の奇跡はもう単なる2000年前の出来事ではありません。聖書を読む時には次のように祈って読みましょう。「イエス様、今日も聖書を通して私に語りかけて下さい。あなたのことをもっと知りたいです」。

「あなたがたは行って、
自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。
目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、
ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、
死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。
だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。」
(マタイ11章2-6節)