五旬節の日(十字架から数えて50日目)皆がひとつに集まっていた時のことです。突然、激しい風が吹いて来て、驚いたことに、炎のような分かれた舌(のようなもの)が一人一人の上に留まったのです。すると、皆が聖霊に満たされて、聖霊が話させて下さる通りに、他国の言葉で話し始めました(2:1-4)。そして大通りに出て行って「ナザレ人イエスをあなた方は十字架につけて殺しましたが、このイエスこそ、預言されたキリスト(救い主)でした。父なる神はイエスをよみがえらせました。私たちはそのことの証人です(14-36)。あなたがたは、この主ともキリストともされたイエスを十字架につけたのです!」と力強く証ししました。これは考えてもみれば驚くべき変化でした。彼らは十字架直後、自分たちも迫害されないかと恐れ、家の中に閉じこもっていました。でも、復活の主にお会いして、聖霊に満たされて、まさに生まれ変わった(新しく創造された)者として、大胆にイエス・キリストを証ししているのです。単なる知識だけでも、単なる体験だけでもなく、聖霊によって「いのち」が与えられた結果、彼らは変えられたのです。
そのメッセージを聞いた人々にも変化が現れました。彼らは心を刺され、こう応答しました。「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」。それに対してペテロは言いました。「悔い改めなさい。そしてそれぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう」。そして実際に、その日の内に3000人が洗礼を受けました(37-42)。しかもそれだけではありません。彼らの生活も変えられました。彼らは「資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて分配し、毎日心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美していた」のです。そんな彼らの姿を見て、人々は好意を抱き、救われる人々が毎日起こされ、仲間に加えられていきました(43-47)。思い出して下さい。「神なんかいらない」と、神様のおきてを破り、自分が神のようになり、神様との絆も、隣人との絆も失ってしまった人間…。その平和(神の国)が今ここに再創造され始めているのです。イエス様は、十字架の上で「一粒の麦(ヨハネ2:24)」となってくださいました。その一粒のいのちが、すさまじい勢いで広がり始めているのです!
聖霊があなた方の上に臨まれるとき、あなた方は力を受けます!この聖霊の働きについて、エリクソンはこう書いています。「普通私たちは、父なる神様を、はるか遠くの天国におられる方だと感じています。同じようにイエス様のことも、はるか昔におられ、この地上からはすでに取り去られた方だと感じています。しかし三位一体の神である聖霊は、その距離を縮めます。聖霊は私たちの生活のただ中で、私たちの心に直接に働きかけます。現代は聖霊の時代です。神様は目に見えません。しかし私たちはこの聖霊の働きを通して、神様の臨在を身近に感じ、キリストと共に生活することができるようになるのです(「キリスト教神学」第41章、聖霊の教理の重要性、意訳)」。つまり、この聖霊の働きによって、私たちは本当の意味で変えられ、本当の意味で神を知り、愛し、従う者とされるのです。私たちが信仰に至るのは、ただこの聖霊の働きを通してのみです。
あなたの中で「分からないあなぁ」と感じていることはありませんか?また、変わりたいのに、変われないなぁと思っていることはありませんか?もしそうなら、聖霊に助けを求めましょう。
御霊も同じようにして、
弱い私たちを助けてくださいます。
私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、
御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、
私たちのためにとりなしてくださいます。
(ローマ8:26)